2012年2月12日日曜日

この姿、胸に刻んでおきたい



JAのビルディング・・・


一見すると、比較的被害が少ないようにも思えたのですが・・・

さらに近寄ってみると
2階部分は、完全に破壊されており、被害は3階にまで
及んでいることが分かります。

周囲の状況から見て・・・

この建物の前で、何らかの建物の陰になって津波の力が分散、
その結果、上層部分のガラス類が残ることになったものでしょう。


その近く・・・ 私は・・・ 市役所と覚しき建物の前にも寄ってみます。


これが市役所庁舎らしい・・・

いゃ、本当に、市役所の庁舎だろうか・・・

そんな疑問を感じながら近寄っていくと


玄関横に見える「市民憲章」の石柱のみが、辛うじて
この建物こそ、元の市役所の建物なのだろうと感じさせました。

この建物の前に多くの線香と花を手向けてもあります。


その場所こそ・・・

今の今、余震が起こっても逃げ切れると思われるぎりぎりのところでした。


女の子のものらしい、ランドセルが2つと車椅子が
いつ戻ってくるか分からない持ち主を、今も待ち続けています。


建物を出て、外から眺めていると・・・


市役所はどこでしょう!?


・・・と私より若いらしい男性に声をかけられます。


近くにはタクシーが停まっていましたから、
おそらく この方は タクシーに乗って陸前高田を歩いているものでしょう。


運転手に聞いた方が確実だろうに・・・ と思ったのですが、


きっと この方は、確実な答えでなく まちを歩いている私を見つけ、
何かをきっかけして声を掛けたかった。

格好からしても、私を旅行客と知ってのものだろう・・・と気づかされます。

私も、この地をを歩いていて、ついに この方以外、
町を訪ねてきている人を見かけなかったので、

この時は声をかけられただけで、安心感のようなものを感じていました。


多少、所在無さそうにして去っていったように思えたのは、
もう少し話せれば・・・ と思っていたからに違いなく、
私ごとながら、気のきかないことをしたものです。



元の住宅街と覚しきあたりを歩いていると、
ところどころに、家財道具が集められている一角があります。


レコードやビデオテープ・・・


時々見られるマーブル色のものは何なのだろう?・・・と覗き込むと、
それは、変色の進んだ写真でした。

この家の玄関前で撮影されたと覚しき家族写真。

これらは、家の搜索にあたった
自衛隊の方が見つけて並べたものなのでしょう。


私は、やがて持ち主が現れるであろうことを祈りながら手を合せます。



この辺りも、住宅地だったものと思われます。


瓦礫を撤去する重機と作業者、奥に見えるのは瓦礫の山。


時折巡回するパトカー。


これは何の建物だろう!?


近寄って、ぐるりと半周したところで、ようやく看板だけが
かって郵便局の建物だったことを伝えているような有様です。


構造がしっかりしているので外観は残っていますが、
このくらいの低層の建物となると、全てを津波が飲み込んだものでしょう、
周囲や中はがらんどうになってしまっています。

2012年2月2日木曜日

立ち尽くす



この光景を眺めた時・・・


この中で、何が起こったのかが瞬間で分かった気がしました。


「搜索終了」の張り紙が虚しさを一層募らせます。