2015年7月30日木曜日

金座街、ただ今改修工事中



買物にカフェと、日頃から何かと利用させてもらうことの多い金座街商店街。


その金座街で、舗装や照明の改修工事が始まったことが、
7月10日付の中国新聞朝刊に掲載されていました。

日中は人通りが多いだけに、工事は夜間に行われているようで、
私も、先日の夜に通り過ぎた際、見ることができました。

単に通り道としての利用も多い通りですので、
記事にもあるような、雨が降ると滑りやすくなると感じていた舗装が、
どのくらい改善されるかは気になるところです。





現在の日中の様子。

全国チェーンのブランドショップから、昔ながらのお店、
こだわりの品揃えのお店、ふだんの買物、夕食の食材まで、
探索すればするほど、狭い範囲でも、奥行きと歴史を感じることのできるのが
金座街周辺の魅力でしょうか!



広島ブログ

2015年7月25日土曜日

博覧会会場に海! ~ パラダイスオーシャン ~




1989(平成元)年7月8日土曜日、海と島の博覧会初日・・・


この日、よく晴れ渡った広島市内!


西区の商工センターに設けられたメイン会場の南北両ゲートでは、
午前10時の開門を今や遅しと待つ人が列をつくっていました。

午前10時・・・

テープカットが行われた後、入場者を手にした人々がチケットをチェックしてもらいながら、
列はゆっくりと会場内に向かって吸い込まれ始めます!


その会場内で、皆さんが入場して最初に目にした光景・・・


~ ~ それは、目の前にひろがる水辺の風景 ~ ~


パラダイスオーシャン と呼ばれる、その水辺を取り囲むようにして立ち並ぶのは、
これもまた海をイメージした貝殻や波しぶき、帆船をイメージしたパビリオン。

この パラダイスオーシャン と呼ばれる水辺こそ、

この頃、数多く開催された博覧会のなかにあって、これぞひろしまの博覧会ということを
まず入場客に印象づけるための演出であり、
これこそが、海と島の博覧会における最大のパビリオンだったといえるでしょう。


この日はマーメイドボウルと呼ばれる博覧会メインステージにて、
生島ヒロシさん、楠田枝里子さんを司会者に迎えオープニングセレモニーが行われ、
7つの海から取り寄せたという海水投入の儀式を行ない、
これから10月29日までの、延べ114日間に渡って繰り広げられることになる、
海と島の博覧会の開会が宣言されました!


オーシャンとはいえ、実は大きな人造池なのではありますが、
世界7つの海をイメージするだけあって、海らしくみえるような演出がなされていて、
その水辺に沿って建つパビリオンとともに
瀬戸内海から、世界と連なるHIROSHIMAを人々にイメージさせるに十分な演出でした!

私は、これまでも、博覧会や遊園地などの大型のアトラクション施設に
数多く出かけていますがが、
この、海をイメージした会場演出によって、今でも個々のパビリオンよりも、
会場を遠望したときの、海のある風景として思い浮かんでくるほど、
強烈な印象として残っています。

( 他の博覧会やテーマパークを思い出そうとしても、人混みもあって
会場遠望の風景は写真によるイメージになってしまっていたり、
東京ディズニーランドのようにシンデレラ城を見渡せる広場の、いくぶん広い場所の風景くらいでしょうか。
おおよその見える範囲は意図的に限定されていることが多いように感じます。 )


週末ともなると、たいへんな混雑を見せた会場内にあって、

水辺の風景がふんだんにあることで、
そこで佇むことができ、憩い、また水に触れることができるということは、

とかく人を見に行くことになりやすい大きなイベント会場内にあって、
空間の広がりや、ゆとり感じさせる素晴らしい演出でした!

遊園地やイベントにおいて、水辺を設ける例は、他にも少なくはありませんが、
これほどまで親水性を持たせてある会場演出は、当時は珍しかったように思います。


このパラダイスオーシャンは期間中、
様々なイベントの舞台や舞台や背景として活用されました!

人造の池(海)としては巨大で、データーで見てみますと、
その大きさは5.4ヘクタール、水質は調整されており、その水量32000トン。
水深は浅く、一番浅いところで0.5m、一番深いところでも2mとされていましたが、
海底部に色を塗ることで、海を思わせる色の深みを持たせてありました。


圧巻は、開幕日から数日間に渡り行われた海外の水上スキーチーム、
ザ・サイプレスガーデンのショーで、
大きめの水辺とはいえ、水深は浅く、水上スキーを行う場所としては手狭だと思うのですが、
数人で編成されたチームは、アイススケートよろしく軽やかに水辺でターンし、
すぐに次の演出へととりかかってゆくさまは
さすがはプロのエンターテイナー!!と思わせるものでした!




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2015年7月22日水曜日

咲く前って



ひまわりが咲く前


花って咲いてからも良いけど、咲く前もいいよね~♪



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2015年7月20日月曜日

時は1989年・・・ 海と島の博覧会へと向かいましょう



つばめ・ミュージアムにご来館の皆さん

今回の舞台は広島。

私たちが目指すのは”海と島の博覧会ひろしま”
博覧会会場に向かうだけでなく、時も巻き戻してみることにしましょう!




さて、ここは1989年。


年が明けた、昭和64年1月7日、昭和天皇が崩御。

翌日には、元号は「平成」と改められ、平成元年1月8日。

多くの人が、ひとつの時代の終わりであり、また始まりに立っていることを意識させられた
一年の幕開けとなりました。

このころはというと、若い人が集まって、さぁ何をしようか!となれば、
必ず誰かがカラオケ!というほどの、カラオケブーム。
グループ用個室を持つお店があちこちで開店。

普段からよく行くだけに、女性ですと、このあたりだと~と、
店の場所や、雰囲気がメンバに合う合わないまで心得てチェックしお店の探索を開始。
まだレーザディスクカラオケの時代です。

ちょっと待って!店に予約聞いてみる!と、
スマホを取り出して・・・ではなく店の前まで行って、実際にお店の中に・・・

さぁ、今日は何時から歌えるのでしょうか??


そう、この時はまだ、ポケベルの時代。

ですからお店一件一件予約状況を聞いてまわって、
一度だか二度だか、さすがにもういいやと諦めたことも。

またかよ~と街角で猫の鈴・・・の鳴る音にしかめっつらのサラリーマン。
ガ・ガ・ガ・ガ・ガ・ガと目にも止まらぬ早さで、公衆電話のダイヤルボタンを押し、
友達にメッセージを送っているのは女子学生さん達でしょう。


この頃のセレブなお父さん方といえばゴルフに接待という名の遊行。
花の金曜日、そして花の木曜日ハナモクなんて言葉が流行るほど、
夜の歓楽街が賑わった時代であり、
この頃、家庭崩壊という言葉も、にわかにクローズアップされてきはじめていました。


この年を象徴する出来事といえば、もうひとつ・・・

年の終わりとはいえ
昭和50年台から持続的に続いていた好景気が、昭和60年台に入るころになると加熱。
この年の12月29日、日経平均株価が38957円と、
現在に至るまでの史上最高値を付けています。


1989年というと、その数字の並びの微妙さとは裏腹に、
いろいろな意味で歴史の境目、潮目ともなった年でした。

4月1日は、1888(明治21)年に日本で最初に「市」に移行した31市が
市政100周年を迎える記念すべき年でもありました。

これらの都市では、折からの好景気もあって、
この年に向けて、何らかの記念行事を行うことが模索されていました。


この時注目されていたのが・・・


1981(昭和56)年、港湾都市神戸における新たなまちの街開きのキックオフイベントとして、
開催され、来場者数1610万人と、大成功を収めた地方博覧会「ポートピア21」でした。

神戸市都心部の三宮沖の港湾部に、
ポートアイランドと呼ばれる出島型の大規模埋め立て地を造成。

このエリアに国際競争力を持つ港、企業の本社機能、新しい産業を誘致。
ポートアイランドと交通結節点の三宮を結ぶポートアイランド線新交通システム。
職住近接の大型マンション、病院などの都市サービス機能まで持たせた神戸の新都心。
 
埋め立てに必要な土砂を削りとる背後の山では、新たに住宅地を造成するなど、
後に「神戸株式会社」と呼ばれたほどの経営手腕を発揮。

さながら未来都市を思わせる新都心の風景を現出させた、その象徴的なイベントとして、
自治体関係者の間で一躍、博覧会が脚光を浴びることになります。


この頃、神戸市に限らず多くの大都市で、
それまで近代日本の屋台骨を支えてきた造船、鉄鋼業などの
重厚長大産業が新興国との競争にさらされ衰退、
操業の縮小や工場の撤退が相次ぎ、それらの立地していたウォーターフロント部の再開発が
課題となりつつあったことも博覧会開催の背景となりました。


現在でも大規模なイベントとして、しばしば博覧会が開かれていますが、
この頃の数年間はパビリオンが並び立つような比較的規模の大きな博覧会が
各地で並行して開催されていて、平成元年の開催になると大規模なものだけでも


アジア太平洋博覧会(福岡) 3月17日~9月3日

世界菓子博(松江) 4月23日~5月14日

海と島の博覧会(広島市及び県内各地) 7月8日~10月29日

世界デザイン博覧会(名古屋) 7月15日~11月26日

横浜博覧会(横浜) 3月25日~10月1日


・・・となっています。


※ 上記の博覧会列記に誤りがありました訂正しています。



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2015年7月18日土曜日

Hello Pluto!!




日本時間の7月14日、NASAの冥王星探査機ニューホライズンズが

冥王星の上空13000Km程度まで接近!

秒速14Kmという猛スピードで通過しました。


ハート型がオシャレですね !


この画像を見て、あらためて冥王星に親近感を感じた方も多かったのでは!?






3000m級の山も!

けっこう隕石が衝突しているハズなのですが、クレーターがあまり見当たらないことから、
現在も地質活動があるのではないかと考えられています。



以前から 何かある!といわれ続けていた 衛星 カロン


主星である冥王星に対しても、堂々として見えます!




ちょっと見ただけでも、これは興味深い!!

冥王星とともに、起伏に富んだ地形はどうやって形成されたものでしょうか!?
今後、徐々に送られてくる予定の観測結果をもとにしての
研究成果に期待がかかります!


※ 7月11日の”ニューホライズンズ 14日に冥王星に最接近!”で
タイトルが「再接近」となっていました。訂正済み、申し訳ないです。

画像はNASAのホームページより


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2015年7月16日木曜日

二期作





3月に手に入れた紫陽花の花鉢。

花を楽しんだあとは庭に植え替えて、来年のお楽しみとしていたのですが

一週間前くらいからでしょうか、
その株に花らしきものが出来始めていました。 なんかだか小さい気もするのですが、、


それが今朝、咲きました! ちっちゃ・・・


我が家初、紫陽花の二期作!! 咲くものなんですねぇ~!


ちなみに、あと一週間もするとアサガオが最盛期を迎えそうですし
ヒマワリの花が咲きはじめるでしょう!

台風が大過なく過ぎ去れば、梅雨明け宣言でしょうかね。

いよいよ夏本番ですねぇ~! 暑うぅぅ、、、、



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2015年7月11日土曜日

ニューホライズンズ 14日に冥王星に最接近!




ア~~ワ ア~ワ ♪


冥王星のことを考えているとき・・・

なぜだか、私の頭の中では
 Video Killed The Radio Star のメロディラインが流れます。

悲劇的な歌詞が、どこか準惑星への格下げと追慕であるなら、
あっけらかんと明るく歌い上げる感じさえらしく感じられるのでしょうか!?


今、冥王星探査機ニューホライズンズが、7月14日の至近点通過を目指して、
冥王星へと急接近しつつあります。


トリノオリンピックが開催された、2006年(平成18年)に打ち上げられたニューホライズンズは
太陽系の端に位置する冥王星に向けて、できるだけ短い時間でたどりつくため、
木星を使ってスイングバイを行うことにより加速。

2015年の今年7月、長い旅路を経て冥王星へと辿り着くニューホライズンズですが
残念ながら冥王星の軌道に入っての観測を行うことはできなくて、
冥王星と衛星カロンの近傍を全速力で駆け抜けていきながらの観測になります。

まさに一発勝負! 先日、機器トラブルが発生しましたが、
この時の関係者が感じていた緊張感は、
ちょっと私達では想像できないほどに過酷なものであったことでしょう。


加速する以上、冥王星の軌道に入るとすれば、減速のうえ
軌道へと入っていく必要があるのですが、
これを行うとなると燃料が増え、システム自体も大きくなってしまうため、
予算的に厳しいものとなるためです。

ちなみに地球、冥王星間で通信を行うとなるとちょっとしたことでも、9時間。

推力を目一杯に上げて2006年に打ち上げ、加速しても2015年の到達。
冥王星って遠いんだなと思わされる瞬間です。


実は、全力で通りすぎなければならないことにはメリットも!

順調に行けばその先にある彗星のふるさとと考えられているエッジワースカイパー・ベルトの
探査も計画されています。 到着は2020年頃のことになるでしょう。

( ニューホライズンズって、アメリカの天体探査史を考えると、実質の「ボイジャー3号」といえますね。)

その時まで、どうぞご無事で 実り多きよい旅でありますように!!

Have a nice trip!



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2015年7月9日木曜日

プルートンの悲劇



Pluto


カタカナで表せば、多少苦し紛れにプルートンでしょうか。

おそらく、この数日のうちに世界中の多くの人の脳裏に
刻まれることになるかも知れません。


冥王星



その昔、太陽系の未知なる惑星Xを探そうと、多くの人が探索に力を注ぎ、
ようやく発見された、2006年までは太陽系第9番惑星で現在は準惑星。

発見当初こそ、地球くらいの大きさだと思われていたものの、
後に、これには近くを公転している惑星カロンの大きさまで含んだ計算とわかりました。

これが最初の悲劇。

惑星としてみるととても小さいサイズで、地球の月よりも小さい。。

(ただし、月は太陽系の衛星としては大きくて、
太陽系のなかでは地球サイズの惑星が抱えている衛星としては破格に大きい。)


準惑星となることが決まった時には
どってんかいめい・・・の座りが悪くなったじゃないかと思ったのですが、
他の惑星とは軌道が違い「どってんめいかい」の時期がるなんてことがあるのも不利に。

どってんかい、その他中小天体かぁ。。

さらに近年、太陽系新惑星の探索が進められ、
2005年 ついに第10番惑星発見!の報が届けられましたが
ふるまいや大きさが冥王星と同じくらい。
・・・というか、まだこんなに惑星があったんか~い!
というツッコミを覚えたのは私だけはないらしく、


2006年8月の国際天文学連合総会にて

冥王星型天体(冥王星、エリス、マケマケ、ハウメア)としてひとくくりに準惑星に。

それまで「惑星」の定義をはっきりさせていなかったことが
格下げとなってしまった、そもそもの原因。
惑星の定義をはっきりさせるきっかけになったのですね!


でも、皆さん この時にこうも感じられませんでしたか!? 


太陽系って、すげ~~広いな~~、なんだかんだでわかってないんだな~~!

外縁部って、あまり何かないところと思っていたけど、
けっこう賑やかなところなんだな~!と・・・


※ 画像はNASAのホームページより


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2015年7月7日火曜日

150分の1で星に願いを☆ いちおうできあがり



150分の1で星に願いを は、

あれから2回、材料とやり方を変えて作ってみて、今年はこのかたちに 


目立つように最初よりサイズアップしたので、

150分の1だと、まちの七夕祭りの大飾りくらいかな!?


情景も用意するつもりが、七夕飾りに時間がかかっちゃった~


今日は雨の広島市内ですが

夜にちょっとでも晴れるとかしないかな!?



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2015年7月6日月曜日

戦中から走り続けて  ~ 広島電鉄653号 ~




おっ!


たまたま通りががかった広電千田車庫で許可を得て撮影。

これから出庫するところです。


RCCと広島電鉄の共同企画「被爆電車特別運行プロジェクト」のために

色を塗りかえた653号 これが往時の塗装なのだとか。


う~ん、今の色の方が良いよなぁ!と思ってしまいますが、

予備車となっている653号が元気に動く姿を見るのは素直に嬉しい!





あの日、江波付近で被爆。

大破するも、その後復旧され、近年は予備車的な扱いとなっていますが、

引き続き稼働可能な状態を維持しています。


ちなみに・・・


現在も、日々の運行に入っている651号は、中電前付近を走行中に被爆し半焼。


その3日後に撮影された写真が残されていますが、衝撃的なもので、

よくぞ、今まで生き延びて活躍していてくれているものと思わされます。


車歴の長さから当時からは改修されている点も多いので

( 写真手前の扉の閉鎖、方向幕、クーラー取り付けなど )

ほとんどが鋼製部品に置き換えられているものと思いきや、

イベントの時に車体を下から覗いたときに、木製部分が残っていることに、

安堵感と感慨を覚ました。


戦後70年。


今日も走り続けることによって、

走ることそのもので

周囲に何かを語りかけているかのようにさえ感じられます。




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