2016年4月24日日曜日

オバマ大統領の広島訪問実現へ



4月22日


5月の伊勢志摩サミット時の日本訪問時に、

オバマ大統領の広島訪問が実現する見通しとなったことが、

メディアによって大きく伝えられました。



とても感慨深いです。



私を含め、広島出身者の方にとって、

ちょっと、長崎や沖縄を除く他県出身の方や、

もしくは居住するか、特別な感慨をもって訪れたことのある経験のある方でもないと

感じにくいであろう何か・・・


言葉に言い表せない日となったのではないでしょうか。


この3地域ほど、日本国内において、

VIPが訪れるという行動そのものに、特別の意味を持つ場所も他にないからです。


今、思い返せば、オバマ大統領は就任後、

8月6日の平和記念式典に、当時のルース駐日大使が出席するようになり、

2008年には、広島市で行われたG8下院議長会議に出席した、

ペロシ下院議長が他の参加国の出席者と共に、慰霊碑に献花。


2015年には現職のケネディ駐日大使と共に、

ガテマラ-国務次官(軍備管理・国際安全保障担当)が平和記念式典に出席。


去る、4月11日にはG7外相会合に出席した、ケリー国務長官が

予定時間を大きく超えた長い時間の資料館見学後に、

他の参加国外相らとともに慰霊碑に献花。

その後、自らの提案で、各国外相と、当初の予定に無かった原爆ドームと歩みを進め、

見学を実現させるなど、大統領訪問に向けて着実に布石を打ってきているなかで

今日のニュースとなりました。


実のところ、


私はケリー国務長官の広島訪問は、今回のG7外相会合の日程のなかでの

形式色の強い訪問となるものとなるであろうと思っていたのですが、


ケリー氏は、自身の広島訪問を実り多きものとするべく努力しているかのように、

被爆地の訪問や印象や、今後の可能性を自らの言葉で語り、

予定外の観光に買い物、食事と、短い時間で多くのものを堪能されてからの帰国となりました。


余談ではありますけど、これまでの広島の公式訪問史上のなかにおいても、

ケリー氏ほど、日程に、観光も含めて、精力的に動かれたVIPも珍しいのではないでしょうか。


ルース氏がアメリカの代表として、平和記念式典に初めて参列した日を思い返しながら、

ついにここまで来た・・・と感じ入ったのは、私だけではないでしょう。




就任したころから、広島訪問の可能性を語り、実現すれば光栄だと語っていたオバマ氏。




被爆者であり、2年前に亡くなった祖母が、生前


オバマさん、広島に来ることになるかも知れないね と話す私に


「 謝罪はせんでええと思う。  謝罪いいよったら、カネの話になっていくけぇ。 

来て慰霊碑に参ってくれれば、それでええよ。 

アメリカの大統領が実際に広島に来ようと思うだけでも難しいことじゃけぇ。 」



 ・・・といった旨のことを語っていました。



その通りですね。 




残り少ない任期とはいいながら、政治的なリスクも予想されてるしょう。

未踏の領域へと踏み込んでいこうとしているのですから。



訪問の実現に向けて、ここまで、少なからぬ努力を傾けてきている、

アメリカのホワイトハウスと、日本政府関係者の方々に敬意を表します。



大統領が被爆地を訪れる。



それは、人々の心に、小さからぬさざ波をたてることになるでしょう。



平和を願う心同士が共鳴しあえるように、アメリカという大国が行動する。

小さいようで、小さくはない


今の時点でも、


あの時、核兵器による日本への報復攻撃は間違っていたのではないか?という考えが、

アメリカの若い世代の人たちを中心に拡がりつつあるといわれています。


今回のケリー国務長官広島訪問の際に、ワシントン・ポスト紙、ニューヨークタイムス紙などが、

オバマ大統領も広島を訪問すべきという旨の社説を掲載したことも

そういう時代がやってきていることを感じられる、大きなトピックスといえるでしょう。


この動きが、多くの人々の心にさざ波を立てていくとするならば、

このたびの一連の行動は、政治パフォーマンスということにとどまることなく、

やがては大きなうねりとなり

いつの日か、世界全体の軍事費、戦争自体が少なくなる可能性につなげていくこともできる、

有意義なものになり得るといえるのでは無いでしょうか。





広島ブログ

2016年4月16日土曜日

熊本地震




この度の、熊本地震で亡くなられた方々のご冥福をお祈りします。



16日、1時25分の緊急地震速報で目が覚め、


その後、なかなか寝付けなかったためか、
今日、たびたび眠気を感じながら過ごしていましたが、
それだけに、繰り返し起こる、規模の大きな地震のたびに緊張を強いられる方々の
大変さを思わされます。


日本のどこで、いつ大きな地震が、どのような形で起こるのか
わからないと、あらためて感じらされます。


4月14日、21時26分に発生した大きな地震以降、
今晩に至るまで、いまだに地震の収束が見通せないばかりか、
今日、16日夜は、大雨の予報さえ出ている状況でもあります。


一昨年、平成26年の広島豪雨の被害を思い返す時、
今の被災地の皆様のお気持は、察するに余るものがありますが、
どうぞ、ご無事でありますよう、心よりお祈り致します。




広島ブログ

2016年4月13日水曜日

梅小路発-京都鉄道博物館行き




京都鉄道博物館の開館が、4月29日に迫ってきています!!


当館には、津山まなびの鉄道館に関する展示がありまして、
当然のように、京都鉄道博物館に関する展示も用意されていながら、
一度はお蔵入りしかけましたが・・・
開館秒読み!ということもありまして、こちらも紹介していきましょう!!



昨年、8月30日・・・ 1972(昭和47)10月10月より43年の歴史を刻んだ
梅小路蒸気機関車館が閉館となりました。


これは、4月29日、開館予定の「京都鉄道博物館」の開館準備へ向けての一時的な閉鎖。

・・とは申せ、長らく親しんだ「梅小路」の名が
博物館の正式名称から消えてしまうのかと思うと、少し寂しいような。。
それでいて、鉄道の博物館がこれほどまでに充実してくるとは!という驚き、感慨も!


かって、東京神田の万世橋にあった交通博物館は、
日本の歴史における鉄道の役割からみれて、子供心にも、あまりにもささやかな印象で、
世界一の規模といわれる、イギリスはヨーク鉄道博物館あたりと比較しながら、
彼の地の層の厚さを羨ましく感じたりしていました。


それから後、国鉄からJRに移行するあたりから、風向きが変わりはじめ、


北海道の小樽の北海道鉄道記念館が拡張。(現在の小樽市総合博物館)

北九州市には、JR九州の九州鉄道記念館が開館。

埼玉県の大宮には、
万世橋の交通博物館から規模、資料ともに充実させ移転した
JR東日本の鉄道博物館が開館。
名古屋にはJR東海のリニア・鉄道館が開館など

全国の、JR系の博物館や資料館といった施設だけでも年を追うごとに充実。
それ意外でも、歴史的な車両や資料については、
車両基地などで保管措置が取られています。

その他、私鉄についても、自社の鉄道施設、歴史的車両の保存措置を
取る動きが目立つようになってきていて、
今や、一昔前では想像もできなかったほどの、鉄道博物館、資料館が充実。
世界的に見ても、鉄道博物館大国といって良いほどの充実度を誇るようになってきています。


そして・・・

そう、関西には、JR西日本の2つ、
大阪は弁天町の交通科学博物館と、梅小路蒸気機関車館。(ともに閉館)


大阪の交通科学館は、東京、万世橋の交通博物館が早い段階で
現状以上の資料を展示する余裕を失ってしまっていたためか、
後々まで狭い敷地をやりくりして保存車両を充実させ続けてきたこともあって、
昭和中期頃の、今となっては貴重な車両群は、こちらに主に収蔵されてきていました。

対する、梅小路は、蒸気機関車を動かせる状態のまま、
かっての京都機関庫とともに、システムとして保存、
日本の蒸気機関車名車コレクションともいうべき、梅小路蒸気機関車館があり、

今回の京都鉄道博物館は、
この2つの博物館の保存車両に、JR西日本の車両としても活躍した
車両を新たに加え同じ場所で保存展示する博物館といえるでしょう。

この博物館、これまでの鉄道の博物館と比べて、
収蔵車両や博物館の機能などが特徴的で、興味深いですね!


まず、C62形蒸気機関車 なんと、1号機、2号機、26号機 の3両を保存、展示!
C62というと、保存車両は、全国でも、梅小路の3両以外ですと、
JR北海道の所有する3号機、リニア・鉄道館の17号機の2両のみ。
保存全5両のうち3両が集結していることになります。





実はD51形蒸気機関車も、梅小路の1号機、200号機が保存されていて、
弁天町に保存されていた2号機と合わせて3両になるのかと思いましたが、
2号機は、同じ弁天町の仲間、ディーゼル機関車DD13、DF50とともに
岡山の津山扇形機関庫へと移されました。 まさかの津山まなびの鉄道館の充実!


博物館に保存される鉄道車両といえば、多くの場合1形式のうちで代表的な1両。
電車など編成が重要なものですと、
先頭車と、中間車の2両が残されることがあるくらいですが、

京都は、新幹線0系のトップナンバーが先頭車2両の中間車2両と、一応編成となる4両。
トワイライトエクスプレスが機関車込みで5両が保存されるなど、
こちらも、ちょっとした編成が組める単位で保存される点で珍しい!というか・・・


ダイナミックだな~!!


機能というと、ここは博物館というだけでなく、
現役の「梅小路運転区」(機関車の車両基地)。
収蔵の規模を増やすだけでなく、蒸気機関車を修繕するための
メンテナンス工場も新たに設けられました。

同じ梅小路公園内には、京都市の市電の保存公園と京都水族館も隣接。
今後、アクセスを改善するため、駅を設置することも決まっているなど、

今後、梅小路は、ますます文化型のテーマパークとして、
充実していくことになりそうですね!!


そうそう、京都鉄道博物館のイメージキャラクターって

「ウメテツ」って

ツバメのキャラクターなんですよね~

親しみを感じるなぁ!!



広島ブログ

2016年4月10日日曜日

いつ見ても、何度見ても・・・ 




いつ見ても、 何度見ても、 ため息が漏れてしまうほどの美しさ・・・



よく、あの時代に、こんな建物にゴーサインを出したよなぁ~



発想の大胆さ、建物事態の美しさ、借景の見事さ、神秘性

自然条件に逆らわず、積極的に取り込むことで、周囲と一体化させる技術力


土地の持つストーリー、この地ゆえに可能であったと思われる建築の地域性

海という場所、時間により刻々と、また季節による変化によりもたらされる演出力

脈々と伝えられてきた、武具、平家納経に舞楽など、当時超一級の文化。


今の時代をもってしても、これほどまで練られた構想によるであろう

海上構造物は、ちょっと思いつかないほどです。



桜が、ほぼ満開となった、先週の土曜日、

今年初めて、宮島へと渡ってきました。



平家政権が、その勢力を誇ったのは、わずかに20年余り。


しかし その短い期間に平家時代いえるほどの時代を築いた絶頂期から一転、

わずか数年の後、壇ノ浦へと追いつめられながら、

果たして、現在に至るまで、誰が自分たちの残していくことになる影響の大きさを、

想像し得たことでしょう。




平家一族は散り散りに滅びようとも、

彼らが、当時の持てる限りの力と技術力を注ぎ込んだであろう建物は、

今や、噂を聞きつけた人々が日本各地をはじめ、世界からも訪れる場所になりました。


これぞ世界遺産だ!とは、宮島が世界遺産リストに登録された際に

世界遺産委員会の会場にて、参加した委員から、口々に漏れていた言葉といいます。


今、平家の一問が どこからか見ているとするならば、今、何を想うのでしょう?



近年は・・・ 私は、この景色を眺めるたびに、

生まれて後、亡くなるまで、その人自身に与えられた運命や境遇のなかで、

一生懸命に生きていく大事さを、教えて貰っているような気がします。


それが、どう評価されるのは、時間を経てみないとわからない。








この、4月10日、11日、

広島で初めてのサミット関連行事となる G7外相会合 に参加していた、

各国の外相や外相婦人も、ここ厳島神社を訪れたようですね。


多忙な日程の中ではありますが、これぞ役得!


苦労してでも、訪れてみる価値のある場所であると思います。



広島ブログ

2016年4月7日木曜日

さくら号




たくさん雨が降った、今日の広島市内・・・


自分の車で出かける用があり、

出先にて、たまたま桜の木の下に駐車。


外に出てみると、雨に散った花びらで、車をデコレーションしたかのようになっていた。


あまりにデコレーションが見事で、

なんかだか、すぐに取り除くのが躊躇われる。


普段は つばめ号 って呼んでいるマイカーだけど、

今日ばかりは さくら号 といった雰囲気。


つばめ と さくら


奇しくも、列車にしても、歴史的に 燕 と 桜 は同じ路線を走ってきた。

今は九州にて、同じ九州新幹線を仲良く走っている。


案外、つばめ と さくら は相性が良いらしい!


これからは、つばめ・さくら号 にしようかな! 





広島ブログ

2016年4月3日日曜日

お仲間発見!!



お、、 お仲間発見!!


ちと、シーズンには早くないか!?


・・・と思いきや、ペンギンさんみたいです。


まぁ、鳥仲間だよね!




広島ブログ