2012年4月5日木曜日

桜のある風景 その3 ~ 広島城は、まだこれから ~



昨日のお昼どきの、広島城


RCC(中国放送)局 付近・・・


けっこう、桜が咲いているかと思いきや、

まだ・・・ 2、3日してから、ようやく見頃になり始めるかな!?
といった感じでした。




しかしながら 咲きはじめ・・・ というのも良いものです。




昨日は、時間にも余裕があり・・・


途中で・・・ うどん や おはぎ で知られる ちから さんの

あんころ餅いちご大福を買ってきました ♪

もっとも・・・ 遠征が過ぎて、急いで食べなくちゃなりませんでしたが。。。


先週までとか、来週からなら、もう少し忙しくて気持ちの
余裕が無かったのでしょうが・・・

ちょうど桜の開花と重なる
良い時期に、お昼の散歩が出来ているのが嬉しいですね!

2012年4月4日水曜日

桜のある風景 その2 ~ すでに見ごろ! 世界平和記念聖堂前の垂れ桜 ~



先日・・・ 見かけた桜は どのくらい咲いたかな!?


本館で展示した、あの木です!


あっ! もう見頃なんだ~~。


良い光が当たっています!


朝、ちょっと遠回りして寄ってみただけの事はあったなぁ~!!!

2012年4月1日日曜日

桜のある風景 その1 ~ 白神神社の桜(開花) ~



2012年の・・・


桜のある風景


果たして・・・


開花中の間に、何ヶ所の展示ができるかは分かりませんが、

まずは 第1回目・・・

今年の広島の桜の開花予想日とされたいた、
3月31日(土)の
広島市中区、大手町交差点にある・・・

白神神社にある桜の木からスタート!


2012年2月12日日曜日

この姿、胸に刻んでおきたい



JAのビルディング・・・


一見すると、比較的被害が少ないようにも思えたのですが・・・

さらに近寄ってみると
2階部分は、完全に破壊されており、被害は3階にまで
及んでいることが分かります。

周囲の状況から見て・・・

この建物の前で、何らかの建物の陰になって津波の力が分散、
その結果、上層部分のガラス類が残ることになったものでしょう。


その近く・・・ 私は・・・ 市役所と覚しき建物の前にも寄ってみます。


これが市役所庁舎らしい・・・

いゃ、本当に、市役所の庁舎だろうか・・・

そんな疑問を感じながら近寄っていくと


玄関横に見える「市民憲章」の石柱のみが、辛うじて
この建物こそ、元の市役所の建物なのだろうと感じさせました。

この建物の前に多くの線香と花を手向けてもあります。


その場所こそ・・・

今の今、余震が起こっても逃げ切れると思われるぎりぎりのところでした。


女の子のものらしい、ランドセルが2つと車椅子が
いつ戻ってくるか分からない持ち主を、今も待ち続けています。


建物を出て、外から眺めていると・・・


市役所はどこでしょう!?


・・・と私より若いらしい男性に声をかけられます。


近くにはタクシーが停まっていましたから、
おそらく この方は タクシーに乗って陸前高田を歩いているものでしょう。


運転手に聞いた方が確実だろうに・・・ と思ったのですが、


きっと この方は、確実な答えでなく まちを歩いている私を見つけ、
何かをきっかけして声を掛けたかった。

格好からしても、私を旅行客と知ってのものだろう・・・と気づかされます。

私も、この地をを歩いていて、ついに この方以外、
町を訪ねてきている人を見かけなかったので、

この時は声をかけられただけで、安心感のようなものを感じていました。


多少、所在無さそうにして去っていったように思えたのは、
もう少し話せれば・・・ と思っていたからに違いなく、
私ごとながら、気のきかないことをしたものです。



元の住宅街と覚しきあたりを歩いていると、
ところどころに、家財道具が集められている一角があります。


レコードやビデオテープ・・・


時々見られるマーブル色のものは何なのだろう?・・・と覗き込むと、
それは、変色の進んだ写真でした。

この家の玄関前で撮影されたと覚しき家族写真。

これらは、家の搜索にあたった
自衛隊の方が見つけて並べたものなのでしょう。


私は、やがて持ち主が現れるであろうことを祈りながら手を合せます。



この辺りも、住宅地だったものと思われます。


瓦礫を撤去する重機と作業者、奥に見えるのは瓦礫の山。


時折巡回するパトカー。


これは何の建物だろう!?


近寄って、ぐるりと半周したところで、ようやく看板だけが
かって郵便局の建物だったことを伝えているような有様です。


構造がしっかりしているので外観は残っていますが、
このくらいの低層の建物となると、全てを津波が飲み込んだものでしょう、
周囲や中はがらんどうになってしまっています。

2012年2月2日木曜日

立ち尽くす



この光景を眺めた時・・・


この中で、何が起こったのかが瞬間で分かった気がしました。


「搜索終了」の張り紙が虚しさを一層募らせます。



2012年1月14日土曜日

そこに、まちがあった  陸前高田市


この光景は

実際に、自分の目で見て、焼き付けておいたほうがいい。


気仙沼で乗ったバスは、海岸線のアップダウンのある道を走り、
間もなく 陸前高田の市街地が見えてきます。


良かった・・・

バスに乗っても、数十分の滞在だったらどうしようと
思っていたのですが・・・
帰りのバスまでは1時間と30分近くありそうです。


私は、この日の 何かの巡り合わせに感謝します。


寒空の下・・・

時々、開けた場所が現れては、
建物の瓦礫を撤去する重機のみが動いている姿が見えます。


バスの中で、時刻表を眺めながら・・・

陸前高田にある3箇所のうち、どこで降りようかと考えます。


いったい、高田のどこが一番繁華な場所なのだろう!?


バスは陸前高田へと入っていきます。


私は、市役所の前で降りようと決めたのですが・・・


バスは市街地だった場所を、
何の不思議も感じていないかのように素通りしていきます。


ようやく、バスが停まったのは、少し坂を登った
陸前高田市役所の仮庁舎の前。


そうか・・・


今は、以前の市庁舎の前に停まる必要が無いのか・・・。


プレハブ2階建ての・・・

しかし、陸前高田市民の生活を守るための
最前線となっている仮市庁舎は、心なし立派に感じられます。


そうは言っても・・・


私は、この坂を下って、旧市街地を見に行くつもりですから、
少々の時間では、どうにもならないところで
つくづく、1時間30分という時間に感謝します。


歩いて、坂を下る途中・・・

家並みのあるところ、土台だけとなったところの境目が現れます。

ものの数メートルしか離れはなく、
この場所まで津波が襲ってきたたのだと分かります。


私は、バス停までゆっくり歩いて戻れるよう
時間を何度も確かめながら歩きます。


足場は急に悪くなります。

時々、陥没した場所、蓋の外れたマンホール穴が現れるので、
写真にばかり気をとられている訳にはいきません。


良かった!


もしかしたら気負い過ぎかも知れませんが、地震から9ヶ月・・・

こうした陥没だけでなく、最大余震の心配もありますから、
怪我をした時用の薬や絆創膏、湿布などはいつもより多めにしていますし、
服装も怪我をしにくいものにしています。

それでいて鞄は、いつもより軽めに。

その分、資料や時刻表などが犠牲になりましたが・・・

健康男子としては
余震など、いざ!の時には、近くの人を抱えて走るくらいの
余裕は持っておきたかった。


しかし・・・


周囲に 私以外、人の歩く姿は見えません。


居たとしたら・・・ 数キロ先を歩いている人でも見えることでしょう。
そのくらい、何の建物も、人の通う姿もありません。


時々・・・ ダンプが通い、遠くで重機が瓦礫を撤去している姿、
巡回しているパトカー以外に動くものも見当たりません。


私が眺めているのは
今も撤去が進んでいく、復興とは縁遠い、まちの姿でした。


来る前には・・・

この辺りで食事や買物でもすれば、
少しでも復興の役に立てるだろう!と思っていたのに・・・。

唯一 先ほどバスで通った道には、車の姿が見えますが、
それは、ここを通り過ぎていく車の列。


2012年1月7日土曜日

道が繋がっていく



松島海岸駅からは・・・


仙石線列車代行バスで、開通区間の矢本駅まで向かう。

このバスは・・・

私の持っている青春18切符で乗ることができるのですが、
この切符では不釣合いにも思える豪華なバスで
少し申し訳ない気がしないでもありません。

思いもがけない雪の松島観光は
旅の良い思い出にはなったけど・・・

果たして、この40分が、この先の行程に どう影響するのだろうか!?

あるいは、行き先を思い切って変更しなくてはならないのではないか?

・・・と思いながら出発を待っていると

直前に到着した電車から乗り込んできたお客で、
ほぼ満席となって、バスは出発。


しばらくすると・・・

仙石線の線路が寄り添ってきますが
架線柱が左右に傾いていて、復旧には今しばらく
時間がかかりそうに思えます。


一見、被害が無いようにも見える内陸寄りの集落、
松島の島影になる集落。

土台を残して消えているのは・・・ はるか沖まで見える、海沿いの集落。

今回の東日本大震災にて

いかに、地震以上に、津波の被害が大きかったものかは、
少し眺めているだけでも想像できるほど。

それでも、少し高台になると、津波は登らなかったようですが・・・

海沿いに、大きく開けて、川があるようなところでは、
多くの映像にもあるように、その川を津波が登って行ったものらしく、
かなり奥の方に向かって町を飲み込んでいます。

朝のためなのか、バスの車内の空気が重く、
カメラを取り出して、車窓からの風景を撮影する気にもなれず、眺めていました。

時々・・・ 駅のところでバスが停まり、乗客の乗り降りがあるのですが、
肝心の駅がどこにあるものかはっきりしません。

果たして駅前が、現在もあるものなのかどうか?

以前・・・ 踏切事故や、台風被害での代行バスには乗車した事があるのですが、
このバスは、駅前まで入っていかないところがあることだけでも、
この辺りを襲った災害が、いかに大きいものであったかを、伺い知ることができます。


時折・・・

線路上での復旧工事を行なっている姿が見え始めたかと思うと・・・

バスは、開通区間の末端となる、矢本駅のロータリーへと入ります。


ここからは列車・・・

架線がある電車区間ですが、ディーゼルカーが通っています。

まだ・・・ 架線に電気は通されていないのでしょう。


それでも・・・

明るい話し声響く車内に、久々にほっとさせられます!


石巻駅着・・・

この先は 石巻線 女川 方面が不通。

本来なら、海岸線の沿ってバスで向かいたいのですが、
気仙沼線 も不通となっています。

当初・・・ 気仙沼方面へ向かう路線バスでも探そう・・・と思っていたのですが

 
わずかの接続時間で、石巻線の小牛田行きの列車が出るとあっては、
調べている時間がありません。

駅員に尋ねみても・・・ バスは通っていないです、道路も滅茶苦茶で・・・。

こうなっては、この列車に乗って小牛田から東北本線、大船渡線と大きく
迂回する方法で気仙沼へ向かうしかありません。

事前に調べた列車の本数と、先ほどの40分を考えると
先の行程が心配ですが、エイャ!と東北本線経由に賭けることに・・・

まぁ、気仙沼からの戻りが最終列車になれば、
一の関から仙台へは東北新幹線で戻ればいい・・・!

( もっとも、こんな列車を使う時間では、どこを歩くとしても難しいのですが・・・。 )


それにしても土地勘が無いなぁ。。。

極力、鞄を軽くするためとはいえ、
地図や時刻表を持って来なかったのを後悔するのですが
どうにもなりません。

どこを、どう走っているのやら???

乗り継ぎが上手くいくとも思えないし。。。


ところが・・・


終点の 小牛田 から 東北本線へ・・・
一の関から、こんどは 大船渡線 で 気仙沼 行きへの乗り継ぎは、
どう組んだら、こう上手く乗り継げるのだろう!?と思うほどに、
数分ずつで乗り換えていくこととなりました。

あまりにきっちりした乗り換え・・・ まぁ、良いけど
これでは・・・ 時刻表も地図も買えんなぁ。。。

この列車の車窓で印象深いのは・・・

大きな荷物を抱えた人が多かったことでしょうか。

開通区間の終点となる気仙沼まで
乗り通す人が多い・・・ 買い出し?、避難先からの帰宅でしょうか?




列車は・・・ 気仙沼 着。

列車はここまでの開通となります。


さて・・・

帰りの列車の時刻を確かめ・・・

さらに北を目指そうか?

とりあえず、遅めの昼にしようか!?・・・と思っているうち、
駅前に観光案内所を見つけて入ります。

陸前高田に向かうには!?と尋ねると

一日にバスが2本です・・・ ( ここまで、ということらしい・・・。 )

朝の便と、次が13:52分・・・

は・・・???

今、13時50分・・・ 2分後???

バス停は、そこを少し行った薬局の・・・



しかも・・・ バス停まで、ちょっと先だって???

時刻表を受け取って、とりあえずバス停へ向かって歩きながら、
帰りのバスの時刻表を探します。
どうやら、現地滞在時間もありそう。

この際、詳しいことはバスの中で調べることに。


果たして・・・ バス停にはたどり着いたけど
52分を過ぎてもバスが来ない・・・

もう行ってしまったのかなぁ~!? 


困ったことに・・・ わずかの間に 路線バスだけなら、何本も行き過ぎていきます。

こんな調子だと、目の前で通り過ぎられるんじゃないか?

不安になって、バス停の前の薬局の方に尋ねてみる。


この方は、わざわざ店を出てきてバスを一緒に探してくれた。

ほどなく見えてきたバスに・・・
あ・・・ あれあれ、あのバスだと思うわ! 念のために運転士に聞いてみて。

確かに、このバスで合っていた。 私は、この方にお礼を言って乗り込む。
バスが出ると、手を振って見送ってくれた。


2011年12月1日木曜日

企画展示 宮島の紅葉2011 第4室



今回の撮影では・・・


撮影対象を紅葉谷宮島水族館に絞って・・・


これまでで 初めて、厳島神社の回廊を経由せず
周囲を迂回するルートで歩いています。


行きは

厳島神社の裏手から紅葉谷へ・・・

帰りは

宮島水族館から、正面砂浜を歩いて・・・



回廊まで接近・・・


あまり近寄って撮影したことが無かったのですが
とても厳島らしいアングルに思えてきます。




紅葉の撮影スポット ♪


朝の8時頃ながら撮影者多数・・・


この時間以降、さらに増えたのではないでしょうか!


2011年11月25日金曜日

企画展示 宮島の紅葉2011 第3室



撮影の前日は雨・・・


そのため、今回は しっとりとした雰囲気の漂うなかでの撮影となりました。








日の光に照らされた海面が黄金色に見えたことに、
インスピレーションを受けたのか・・・


いつになく神秘的な雰囲気を漂わせる絵が多くなっています。


現地に入る前から、写真撮影って始まっているものなんですね!


2011年11月23日水曜日

企画展示 宮島の紅葉2011 第2室



宮島の紅葉2011・・・







回は、秋の朝のひんやりとした空気を写し込むようにしてみました。


2011年11月21日月曜日

宮島の紅葉2011


さぁ・・・


つばめ・ミュージアムプレゼンツ!!!


宮島の紅葉2011




今日から・・・ 数回に分けて・・・



雨晴れの好天に恵まれた、この日曜日は、一年でも最も多くの観光客を
集める日のひとつとなったのでは!?と思われるほど


ピストン運行されている、松大汽船、JR西日本2社の
フェリーに黒々の人の姿は壮観でした。



2011年11月5日土曜日

まもなく70歳・・・ 今もなお第一線で活躍中! 広電650形電車


1942(昭和17)年生まれ・・・ といいますから、

来年・・・ 2012(平成24)で、満70歳を迎えます!


これほど・・・


広島らしさを象徴する電車も他に無いと思います。


もしも・・・ 観光で訪れた時に、乗るチャンスがあるならば!


グリーンムーバ(5000形) か Max(5100形)


この650形は、特にオススメかも!!!


( 福岡、北九州、神戸、大阪、京都から訪れた方なら、
それぞれの街を走っていた電車も良いですね! )


全国を見渡せば・・・

もっと古い車両が走っている例もあるのですが・・・


都市内で通勤時間帯も含めて他の車両と区別することなく使用。
登場以来、ずっと現役で活躍を続けている。

・・・という点でみれば、最も長寿を誇るケースと言えるでしょう。


他の車両に比べて若干小さいものの・・・ 特に居住性が劣る訳ではなく
むしろ、夜に乗ると木目にニス塗りの車内に
落ち着きを覚えたり!


太平洋戦争開戦の翌年に生まれた650形の5両・・・


軍事都市と共に歩んだ頃。


原爆投下で被災、復旧を待った日々。

(全焼655、半焼651、大破653・654、小破652)


広島の復興の槌音と共に歩んだ頃。


自動車交通の増加に伴う廃止論の台頭で全廃に怯えた日々。


昭和42年に自動車との接触事故で失った655。


3扉を2扉に変えて、運転手のみのワンマン乗務となった昭和50年。

( 閉じられた扉は今も残っています。 )


方向幕を大型のものに変更、満を持して冷房を搭載した
昭和50年代後半から60年代。


超好景気に沸き、再び廃止論議が盛んになるも、減速と共に後退・・・


路面電車先進国ドイツからグリーンムーバを空輸して輸入
・・・という広電が仕掛けたイベントが
一つの契機となって、一気にLRT時代へ。

その新型車の増備に伴って、654は廃車、広島市交通科学館へ保存。
653は予備車に。

残っている・・・ 651、652が今日も活躍中!!!



          参考資料・・・  広電が走る街今昔   長船 友則        (JTB)
                       私鉄の車両3 広島電鉄                (保育社)
                            鉄道ピクトリアル1990年11月号「広島電鉄」 (鉄道図書刊行会)
                       写真は白島線八丁堀に停車中(上)、日赤病院前付近(下)651形
 
  
                      
 

2011年10月28日金曜日

広島ピースセンター



広島に生まれ、広島に育った私でも・・・

今だに新たに見せられる表情があります。


これが・・・ 名建築の名建築たる所以なのでしょうか!?


慰霊地へのアプローチとして巨大でありながら・・・
威圧感を感じさせるどころか、むしろ控えめな感じすら受けます。


竣工は1955(昭和30)年・・・

例えば、去年建てたと言われても・・・ 今、計画中の・・・ と言われたとしても
信じられそうなほどに、時代を超越した何かを感じさせられます。


重厚にして簡素、伝統を感じさせながら未来的でもあり・・・


日本の戦後建築はこの建物から始まった・・・ と言われるほどに

エポックメイキングな建物は・・・

2006年・・・ 戦後建築としては始めてとなる
国の重要文化財の指定を受けています。


2011年10月25日火曜日

鈍亀号・・・実は、けっこう速い!



私が子供の頃・・・


この電車につけたあだ名は


鈍亀


おおよそ・・・ スマートとは思えない、その表情から献上したあだ名で、

だからといって


あ、ドンガメが来た~!


なんて声に出して言っていた訳ではないんですけれどね。



この広電電車は・・・ 350形


昭和33年春、ナニワ工機製。


この年に開催された広島復興大博覧会にあわせ3両を新製。


これより先・・・ 昭和30年にも、550形を5両新造しており、

この頃には・・・ 戦後の荒廃からの立ち直りが
進んできていた事が伺えますね!


それから10年もしないうちに・・・

今度は・・・ 路面電車に廃止の大嵐が吹き荒れていくこととなりますから、
この頃が、全国的な路面電車の最盛期であったと言って良いでしょう。


当初の形式は850形で・・・

製造時から・・・ 鉄道線である、宮島線への乗り入れを意図し、
モーター出力は50kvを2台と強化、
昭和33年より開始された、市内線-宮島線直通運転車両として
直通色を纏って使用されました。

2000系、2500系といった、後の直通運転専用車両として
使用されることになる形式の増備に伴って、直通車の任を追われたものの・・・


その際も・・・ クリームに緑という、今も広電生え抜きの車両に施されている
塗装に改められている他は、とくに改造を施されていないため、
現在も、宮島線での運転が可能な形式であるものと思われます。


と、いうことは・・・ 全速力だと、けっこう速いのか~!


普段・・・ 遅い。。。 と思うことの多い路面電車も・・・

停留所間隔の長い場所、信号と信号の合間を縫って走る時に
俊足を見せる時があることを見れば、
専用線さえあれば、50~60Kmで走ることが十分可能なんですね!


子供の頃献上した・・・

鈍亀のネーミングは、道路交通に混ざるからこそであって、
出来るものなら・・・ 見直せる日は来ないものなのでしょうか!?


2011年10月1日土曜日

使い易い道具とは!?




ワタクシごとですけど・・・

実は、今だに ブルーレィの再生、録画装置を持っていません。


もちろん・・・

理由は・・・ 近年の家電への趣味的な興味の低下と
動画映像への興味の大小、
それに見合わせるだけの、先立つものです。

もう一つの大きな理由が

MDを導入した時の教訓です。

録音機能を持つウォークマンを購入したまでは良かったのですが・・・

後が続きませんでした。

結果・・・ 録音したMDを再生できる装置は一つ、
その後、PCでのCD-Rの作成が廉価で簡単になったこともあって、
それ以上に発展することなく終わってしまっています。

その頃・・・ DVDが主流になってきましたが、
これもVHSで粘りました。

DVDを導入するには、一気に
ビデオデッキ、パソコンなど、複数台で導入しなければ
効果が薄いことが、経験的に分かってきていたからです。

狙い通り・・・

機器の値段は一気に下がり・・・ DVDを一気に導入しました。
その時には、ブルーレイの値段も下がり始めていましたが、
同時にHDDに値段も下がり始め、メディアに焼くよりも
HDDで録画して消す方が、安価で省資源と判断しました。


このように・・・

ワンランク上・・・ ではなく、手堅く、使っている人の多い、
値段のこなれている機械を導入するというのは、
物を買う時の一つの方法で、

雑誌の付録のメディアが、今もDVDで発売されている現状も
当面は変わらないだろう・・・と思っています。