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2015年8月1日土曜日

福岡から広島、そしてミャンマーへ




かって、西日本鉄道の電車として福岡市内を走った電車は
今日も元気に広島の街を走っています。


その名は 3000形


広島に住んでいる方なら、広島駅から宮島口までの、
市内線、宮島線直通の主力車両としてとして使用された後、
新型電車が投入されるようになって以降は、市内線の車両として使われている電車で
あることまでご存知の事でしょう。

今となっては宮島線直通色であるサーモンピンクをを纏う唯一の形式ともなりましたね。
その3000形のうち、3005、3006が7月に引退、ミャンマーへと譲渡、
ヤンゴンで運行される予定のようです。




そうなのか・・・ 君はミャンマーへと旅立つのか。

2014年に路面電車まつりに出かけた際、3006号の姿を捉えていました。

残る5編成は、引き続き広島で頑張って欲しいですね!


広電というと、この福岡市内線電車に限らず、路面電車廃止の趨勢のなか
西日本各地で廃止された路面電車車両を譲り受けて、塗装も大きく変更せず、
往時の面影を残すことから動く電車の博物館とも呼ばれます。

しかし3000形に限っていえば、かっては広電の花形だったからでしょうか!?
もともと2両だった編成を3両に改造、正面の大きなライトを取り去り、
色も広電宮島線直通色のサーモンピンクへと、ぱっと見の面影は少なくなっています。


今回、この展示を書くにあたって気になったのが、
福岡市内線の電車って保存されていたのかな?ということです。


ちょっと調べてみたのですが、北九州市内線で使われた車両が
有志や自治体のてによって比較的良好な状態で保存されているのに対して、
福岡市内線電車は西日本鉄道や、福岡市において
体系的に残されることがなかったと思われ、
何両か公園などに保存された車両も、その後に解体されたものがあるようです。

( 路面電車から地下鉄へと歴史を歩む都市で、路面電車車両を体系的に保存していない例は珍しい。 

西日本鉄道さん、福岡市交通局さん、
広電3000形から西日本鉄道福岡市内線1200形への復元は決して
難しくはないと思いますが、保存のための電車の引き取りを希望しておくならば、
今のうちではありませんか!?と記しておきたいと思います。



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2015年7月6日月曜日

戦中から走り続けて  ~ 広島電鉄653号 ~




おっ!


たまたま通りががかった広電千田車庫で許可を得て撮影。

これから出庫するところです。


RCCと広島電鉄の共同企画「被爆電車特別運行プロジェクト」のために

色を塗りかえた653号 これが往時の塗装なのだとか。


う~ん、今の色の方が良いよなぁ!と思ってしまいますが、

予備車となっている653号が元気に動く姿を見るのは素直に嬉しい!





あの日、江波付近で被爆。

大破するも、その後復旧され、近年は予備車的な扱いとなっていますが、

引き続き稼働可能な状態を維持しています。


ちなみに・・・


現在も、日々の運行に入っている651号は、中電前付近を走行中に被爆し半焼。


その3日後に撮影された写真が残されていますが、衝撃的なもので、

よくぞ、今まで生き延びて活躍していてくれているものと思わされます。


車歴の長さから当時からは改修されている点も多いので

( 写真手前の扉の閉鎖、方向幕、クーラー取り付けなど )

ほとんどが鋼製部品に置き換えられているものと思いきや、

イベントの時に車体を下から覗いたときに、木製部分が残っていることに、

安堵感と感慨を覚ました。


戦後70年。


今日も走り続けることによって、

走ることそのもので

周囲に何かを語りかけているかのようにさえ感じられます。




広島ブログ

2015年2月7日土曜日

定点観測



広電電車の保存庫的なところもあって、

時々、定点観測に出かける広電の江波車庫。


先日のハノーバー電車は、ここを訪れたときに、ちょうど運転されていてラッキー!


ちなみに、年初の宮島の帰り道にして、一日乗車券の有効利用!




訪れる際に、乗ったのは ちょうど、年末に運転開始した1006号でした!

これは折り返し、横川に向かっていくときのもの。




広島ブログ

2015年1月20日火曜日

そういえば、あまり しげしげと眺めたことが無かったな・・・




そういえば、あんまり しげしげと眺めた事が無かったな・・・


グリーンムーバの運転台


なんだか宇宙船のコクピットみたいですね!




広島ブログ

2015年1月12日月曜日

ハノーバー電車200形に乗って!




思えば、鉄道創業のころより・・・


海外から鉄道車両を輸入した例は多くとも、

この電車のように、贈り物として戴いた電車が実際の営業路線上を走るという例は、

日本の鉄道としては、唯一の例となるのではないでしょうか!?


広電のハノーバー電車


広島市とハノーバー市との姉妹都市提携5周年を記念して広島市が贈った、
組立式茶室の返礼として贈られたもの。 広電に入線後、
日本の法律に適合させるための最低限の改造を施して後、運転を開始したもの。

見た目を損なわないようにするためには、クーラーを新規に搭載することが
難しいことから、冬季(11月から3月)の間の日曜・祝日に
8号線(横川-江波)間で運行されています。

なんとラッキーなことに、広電には構造上吹きさらし部分があり、冬場の運行が難しい、
大正元年の開業当初の電車を再現したチンチン電車があるため
こちらが温暖な時期(4月から10月)を担当しています。

( 運転予定日、時刻は同社ホームページに掲載されています。 )




それにしても

これほどウイットに富み、効果的だった返礼も

珍しいんじゃないでしょうか!?



レトロなヨーロッパの電車で、贈り物とくれば

クリスマス電車が、よく似合う訳だよな!


サンタやトナカイさんの着ぐるみが、クリスマスの夜の

まちを走り抜けていくさまは、今や季節の風物詩に。





こぼれ落ちそうなほどに大きな窓に、日本の電車とは異なる車内構造。


窓ガラスの平滑性が、現在のものほど取れてないように思えたのですが、
ガラス自体も歴史的なものなのかな!?

ひっさびさに乗りましたが、テーマパークでアトラクションに
乗っているかの雰囲気ですね! 日常のなかの非日常ってワクワク!

2軸電車ですから乗り心地が悪かったっけかな!?と思いましたが
思っていたほど揺れなければ、悪くもありません。
また、チンチン電車に対して、2倍の出力を持っていて
白島線で運行されていた頃は、速度も出てなかったと思いますが
その気になればけっこう速いんだなと・・・ 彼の地での要求水準のほどが伺えます。 


窓の外を見ると、カメラで追っている人あり、
あっ、ハノーバー電車だ!と思って見つめているらしき人あり、

小さな電車ですが、運転手に車掌も乗務しており、
なんとなくアットホームな雰囲気を醸しだしています!

パスピーを装備していませんので、現金でのご利用になりますが・・・と
停留所ごとに伝えて、了解を得てご乗車となります。
パスピーも現時点では機械が大げさですから搭載が難しいのかな!?




広島ブログ

2012年7月13日金曜日

本通電停 バリアフリー対応へ





※ 広島電鉄(株)ホームページより転載


最近・・・ 路面電車に乗ると、上記のような広告を目にすることが出来ます!


これによると・・・来年の2月にも、広島電鉄の「本通電停」がバリアフリー化されるようですね。
イラストを見る限り、紙屋町西電停・東電停と同じスタイルが採用されるようです。


本通電停は・・・ 現状・・・利用客の割に狭く感じられ、
荷物を持って待っていると、人を避けるのも難しく感じられ、
上屋も全体から見れば半分程度と
降雨時の混雑時などは、待ち時間が、一層長く感じられたりします。

そんな・・・

利用者から見て よ~やっとか~! ・・・といった感じを覚える本通電停の改良ですが、
路面電車の電停は、拡げる=道路幅に影響するので、
調整が難しい・・・ と、市役所前電停の改良時だったか・・・に聞いたことがあります。
( 上屋は、全体を覆っていても良かったのでは!?とは思いますが・・・。 

・・・ともあれ、バリアフリー化というと、高齢者、身障者に優しいと考えがちですが、
キャリーケースを持って乗車される方の負担も軽くなり、
子供さんを伴っていても安心ですね。

以前から多い、電停に接近してきた電車と、人との接触事故も
幅を拡げることにより、減少するのではないかと思うのですが、
そのあたりはどうなのでしょう!?

個人的には、幅の狭い電停だと、混雑時に多少なりとも恐怖を覚えることがありますが、
これで解消されるのでは・・・と期待しています。


2011年11月5日土曜日

まもなく70歳・・・ 今もなお第一線で活躍中! 広電650形電車


1942(昭和17)年生まれ・・・ といいますから、

来年・・・ 2012(平成24)で、満70歳を迎えます!


これほど・・・


広島らしさを象徴する電車も他に無いと思います。


もしも・・・ 観光で訪れた時に、乗るチャンスがあるならば!


グリーンムーバ(5000形) か Max(5100形)


この650形は、特にオススメかも!!!


( 福岡、北九州、神戸、大阪、京都から訪れた方なら、
それぞれの街を走っていた電車も良いですね! )


全国を見渡せば・・・

もっと古い車両が走っている例もあるのですが・・・


都市内で通勤時間帯も含めて他の車両と区別することなく使用。
登場以来、ずっと現役で活躍を続けている。

・・・という点でみれば、最も長寿を誇るケースと言えるでしょう。


他の車両に比べて若干小さいものの・・・ 特に居住性が劣る訳ではなく
むしろ、夜に乗ると木目にニス塗りの車内に
落ち着きを覚えたり!


太平洋戦争開戦の翌年に生まれた650形の5両・・・


軍事都市と共に歩んだ頃。


原爆投下で被災、復旧を待った日々。

(全焼655、半焼651、大破653・654、小破652)


広島の復興の槌音と共に歩んだ頃。


自動車交通の増加に伴う廃止論の台頭で全廃に怯えた日々。


昭和42年に自動車との接触事故で失った655。


3扉を2扉に変えて、運転手のみのワンマン乗務となった昭和50年。

( 閉じられた扉は今も残っています。 )


方向幕を大型のものに変更、満を持して冷房を搭載した
昭和50年代後半から60年代。


超好景気に沸き、再び廃止論議が盛んになるも、減速と共に後退・・・


路面電車先進国ドイツからグリーンムーバを空輸して輸入
・・・という広電が仕掛けたイベントが
一つの契機となって、一気にLRT時代へ。

その新型車の増備に伴って、654は廃車、広島市交通科学館へ保存。
653は予備車に。

残っている・・・ 651、652が今日も活躍中!!!



          参考資料・・・  広電が走る街今昔   長船 友則        (JTB)
                       私鉄の車両3 広島電鉄                (保育社)
                            鉄道ピクトリアル1990年11月号「広島電鉄」 (鉄道図書刊行会)
                       写真は白島線八丁堀に停車中(上)、日赤病院前付近(下)651形
 
  
                      
 

2011年10月25日火曜日

鈍亀号・・・実は、けっこう速い!



私が子供の頃・・・


この電車につけたあだ名は


鈍亀


おおよそ・・・ スマートとは思えない、その表情から献上したあだ名で、

だからといって


あ、ドンガメが来た~!


なんて声に出して言っていた訳ではないんですけれどね。



この広電電車は・・・ 350形


昭和33年春、ナニワ工機製。


この年に開催された広島復興大博覧会にあわせ3両を新製。


これより先・・・ 昭和30年にも、550形を5両新造しており、

この頃には・・・ 戦後の荒廃からの立ち直りが
進んできていた事が伺えますね!


それから10年もしないうちに・・・

今度は・・・ 路面電車に廃止の大嵐が吹き荒れていくこととなりますから、
この頃が、全国的な路面電車の最盛期であったと言って良いでしょう。


当初の形式は850形で・・・

製造時から・・・ 鉄道線である、宮島線への乗り入れを意図し、
モーター出力は50kvを2台と強化、
昭和33年より開始された、市内線-宮島線直通運転車両として
直通色を纏って使用されました。

2000系、2500系といった、後の直通運転専用車両として
使用されることになる形式の増備に伴って、直通車の任を追われたものの・・・


その際も・・・ クリームに緑という、今も広電生え抜きの車両に施されている
塗装に改められている他は、とくに改造を施されていないため、
現在も、宮島線での運転が可能な形式であるものと思われます。


と、いうことは・・・ 全速力だと、けっこう速いのか~!


普段・・・ 遅い。。。 と思うことの多い路面電車も・・・

停留所間隔の長い場所、信号と信号の合間を縫って走る時に
俊足を見せる時があることを見れば、
専用線さえあれば、50~60Kmで走ることが十分可能なんですね!


子供の頃献上した・・・

鈍亀のネーミングは、道路交通に混ざるからこそであって、
出来るものなら・・・ 見直せる日は来ないものなのでしょうか!?