さぁ、ご来館の皆様・・・
今回は、広島市中区の、こども文化科学館の横に保存されている蒸気機関車、
C59の161号機を一緒に見に行きませんか!
C59形蒸気機関車は、戦前に誕生。
この、161号機は、一部を改良して誕生した、戦後型の一両として製造され、
当初は下関に配置、その後、広島や糸崎機関区に移動。
呉線が電化される1970年10月まで活躍を続けた、
とても、広島にゆかりの深~い機関車です。
屋外においての長い展示期間のなかで、風雪による劣化や
部品が盗難にあうなどしたため、機関車の状態は良くありませんが、
一部は似た形の部品に、交換されるなど
現在も、できる限り形体を保つための努力がなされています。
正面
それでは公式側から見ていきましょう。
公式側というのは、機関車を正面から見て、右側のこと。
一次側とも呼ばれていて、メーカの製造写真や
趣味でも、写真撮影時などに好んで使われる側面です。
C59の動輪直径は1750mmと日本最大です。
日本の幹線用旅客用機関車は、
1919(大正8)年に登場したC51形式の動輪直径1750mmを、
そのまま蒸気機関車最終期まで踏襲していくこととなりました。
海外の主要国の数値からみると貧弱な印象も受けますが、
このサイズくらいの機関車が輸送事情や当時の日本人の体型からみても、
扱いやすかったことも、採用され続けた理由のひとつといえるでしょう。
運転台から、正面を眺めます。
この位置からだと、デフ(除煙板)があまり見えないので、別の機関車のようです。
デフは、日本の機関車だとC54形式以降、標準採用されるようになりましたが、
海外では蒸気機関車の最終期に至るまで、デフの無い機関車も製造されていました。
ちなみに、模型なんかで加工時にデフを外してしまうと、
とたんにカッコ悪く見えてしまうことに驚かされます。
運転台 今回はコンパクトデジカメでの撮影ですが、
一眼レフのワイドレンズが欲しくなります。
次に一本手に入れるなら、間違いなく第一候補です。
ワイドの前に、超々超ズーム(望遠鏡のこと)の誘惑に負けてしまったので、
ワイドレンズは、いつのことになるのやら?
公式側 テンダー(炭水車)
文字通り、この部分が石炭と水の貯蔵庫になります。
ここに貯蔵した燃料を、前の機関車に送り込み、
火を炊き、発生する水蒸気の圧力で重量物を運搬するための推進力を得る姿。
機関車一両、一両が、動く力を生産する一つの工場といえるでしょう。
テンダーを後部から。
左右に見えている足乗せは、機関車を回送するときに誘導係が乗ったりもする場所。
機関車の先頭に立ち、前方を注視しながら旗で合図を送る。
男の子なら一度は憧れるシーンではないでしょうか
さて、ニ次側(非公式側)へとまわります。
C59のテンダー、より多くの石炭と水を積み込んで、
長距離を走ることができるよう、全長が長くとってあり、
機関車本体と合わせて 21.575mは、日本の蒸気機関車最大の全長となっています。
テンダーを下から眺めます。
C59形式の大きな特徴のひとつが
幹線の旅客列車を高速で牽引するために伸ばされた
日本の機関車最大長のボイラー
他の機関車と比べると、ボイラーが、前へと出っぱっているのがわかります。
長いボイラー、長いテンダーを持つC59は
全体としてスマートに見えます。
日本の機関車で一番の形態美を持つ機関車とされていて、
一般に、細身のボイラーを持ち、女性的な印象を受けるC57に対して、
男性的な魅力を持つ機関車の代表がC59とされています。
さて、あなたはどちらがお好みでしょうか!?
みなさんも、機会があれば ぜひ見て比べてみてください!
広島にいると、やまぐち号のC57とあわせ、
この2両を見比べる機会が持てる! 機関車ファンとしては嬉しいことですね。
各地に保存された蒸気機関車を見ていると、
おおよそ、これほど子供さんに人気のある乗り物も他にないな!と思いますが、
その子供さん達に、とりわけ人気のある部分かな!?
ケガしなさんなよ! 風呂に入れ! 歯をみがけよ!
また、来週~~!!
じゃなかった。。 続けていきましょう。
これほど、動くためのメカニズムが外に出ている乗り物も他に無く、
こうしてみているだけでも、躍動感を感じますものね!
乗って遊んでみたくなる、何かがあるのでしょう!
2次側を左側、正面から。
C59 161のナンバープレートがある場所を煙室扉といい、
その下に「ハ」の字型のエプロンがありますでしょ。
その下の埋め込んだタイプのテールライト。
これを見ると おぉ~広島工場の機関車なんだな~! と思うのが熱心なファン。
ガンダムの誰々専用とか、戦車の局地戦改造タイプみたいに、
その地域や用途ならではの改造や部品交換がなされ、
番号ごとの個性が見られるのも蒸気機関車の魅力!
ひとつひとつ、人の経験や勘に頼って作られ、
ロットや時期で材質まで違ってきているのですから、
個性的になってくるのも当然でしょう。
戦中のボイラーを持つ機関車を復活させようと思うときなど、
ボイラーの肉厚が揃ってないなど、人知れぬ苦労があるようです
調子の良いカマ、悪いカマ・・・ 悪いことで知られていたカマが、転属して後、
その機関区の好調機として知られるところとなってみたり、
調子の悪いカマを、暴れ馬を操るごとく乗りこなすことを
誇りに感じる機関士がいたりと、どこまでも人間的な存在でもあります。
ちなみに、同じく広島で活躍して後、梅小路(京都鉄道博物館)に保存されている164号機も
この、広島工場スタイルを持っていて、
161号機や、一部部品のみが保存されている、162号機などと共に、
C59の仲間の最後の一党として、呉線電化まで活躍を続けた僚機です。
重幹線専用旅客機として製造されたが故に、
後年、電化などで幹線を追われる際に、下級線区への転用が難しく、
一部の仲間は改造が行われたものの、
多くのC59が、まだ力を残したまま、廃車の運命を辿ることになりました。
特急機として活躍すべき時期が、運悪く戦争のまっただ中であったり、
戦後になると、余剰となった貨物機D52のボイラーを使って誕生した、
C62にトップスターの座を奪われ、
多くの仲間が廃車された時期も、SLブーム以前であったこともあり、
やや薄幸な印象を受けるC59になかにあって、
本州における、幹線用大型蒸気機関車の
最終期まで未電化で残されていた呉線で、わずかに残った仲間達が集い、
堂々たる編成の急行や普通列車を牽引する姿が注目されるところとなり、
SLブームのなか、全国から大勢のファンを集めることになりました。
堂々たる編成の急行や普通列車を牽引する姿が注目されるところとなり、
SLブームのなか、全国から大勢のファンを集めることになりました。
C62に対して人気は控えめですが、C59の方が空転が少ないとされるなど、
乗務員の評判が良く、特に定時性、信頼性が必要とされるお召し列車には
大型機関車による、お召し列車の最終期に至るまで重用され続けました。
日本を代表する旅客用蒸気機関車であり、
戦後の成長期まで、終生広島を中心とした山陽本線や呉線で活躍した
C59-161号機は、
広島の蒸気機関車といえば、この一両!ともいうべき機関車であると思います。
お金をかけてでも、将来に向けて丁寧に修復し保存、
屋内保存を検討する価値のある機関車であるとものと思います。
屋内保存を検討する価値のある機関車であるとものと思います。
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