今日は、11月17日付の中国新聞朝刊から。
広島市の平和記念公園の一角には、レストハウスと呼ばれている建物があります。
このレストハウス、平和公園をじっくり観察しながら歩いていますと、
不意にといえばよいでしょうか、公園内で突然現れて、ちょっと浮いた感じさえ
することに、気づかれるのではないでしょうか。
それもその筈、
この建物は、戦前に大正屋呉服店の店舗として建てられ使用されていたもので。
経済統制の強化により閉店の後、燃料配給統制組合の事務所として使われ被爆。
投壊こそ免れたものの内部は全焼。その当時、中にいらっしゃった方の多くが死傷。
その正確な人数は現在もわかっていないようです。
この建物は、当時の中島町の建物として唯一現存、使用されているもので、
原爆ドーム(産業奨励館)とともに、戦前の広島のよすがを残す、貴重な建物。
現在は改装され、レストハウスとして使われていますが、
予め資料などに目を通してから訪れた方でないと
ちょっと気づけないほど、往時の面影を感じにくい状態となっています。
1990年台に入り、広島市が老朽化と平和公園の再整備を理由に、
取り壊しを検討したことがありましたが、市民の猛反對によって撤回されています。
現在は、企業や団体の所有する被爆建物の保存についても、
補助金を出す方針を打ち出していますから、ここ20年くらいの間に、
こういった建物の取り扱いについて随分と情勢が変化してきたものと感じらされます。
今回は、広島市が、このレストハウスの継続保存に向けて耐震補強を行うとともに、
かっての大正屋呉服店の内装を再現しようという試みで
原爆の閃光とともに一瞬で消えてしまった、当時の中島町。
そこから、元安橋を挟み、猿楽町と呼ばれていた場所にある、原爆ドーム(産業奨励館)が
有機的に結ばれることになれば、
往時の土地の記憶の記憶をも蘇らせることにも繋がっていくのではないかと思います。
この大正屋呉服店(レストハウス)について、
以前、つばめ・ミュージアム本館で取り上げたことがあり、
私としては、この記事をとても感慨深く眺めていました。
2009年2月25日付「大正屋呉服店の今」
新聞記事には広島市素案となっていますが、
ぜひとも実現のうえで、
ここを訪れる人々に 今、自分たちが歩いている場所が
かっては広島の繁華街であり
人々の声が響く、賑やかな土地であった往時の記憶を残し伝えていくための
礎となることを期待したいと思います。
内装だけでなく、大正屋呉服店としての外観、街灯など建物の周辺についても、
再現を検討をしてみてはいかがでしょうか。
当時の資料や写真を見ればわかることなのかも知れませんが、
今、自分のこととして
ニュース映像でリアルタイムに行われている戦争やテロ、核兵器実験の
映像や写真を自宅の居間やリビングなどで眺めながら、
どれだけ実感をもって感じられているかを考えてみると、
一考の予知があるものと思います。
ニュース映像でリアルタイムに行われている戦争やテロ、核兵器実験の
映像や写真を自宅の居間やリビングなどで眺めながら、
どれだけ実感をもって感じられているかを考えてみると、
一考の予知があるものと思います。
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