2012年1月14日土曜日

そこに、まちがあった  陸前高田市


この光景は

実際に、自分の目で見て、焼き付けておいたほうがいい。


気仙沼で乗ったバスは、海岸線のアップダウンのある道を走り、
間もなく 陸前高田の市街地が見えてきます。


良かった・・・

バスに乗っても、数十分の滞在だったらどうしようと
思っていたのですが・・・
帰りのバスまでは1時間と30分近くありそうです。


私は、この日の 何かの巡り合わせに感謝します。


寒空の下・・・

時々、開けた場所が現れては、
建物の瓦礫を撤去する重機のみが動いている姿が見えます。


バスの中で、時刻表を眺めながら・・・

陸前高田にある3箇所のうち、どこで降りようかと考えます。


いったい、高田のどこが一番繁華な場所なのだろう!?


バスは陸前高田へと入っていきます。


私は、市役所の前で降りようと決めたのですが・・・


バスは市街地だった場所を、
何の不思議も感じていないかのように素通りしていきます。


ようやく、バスが停まったのは、少し坂を登った
陸前高田市役所の仮庁舎の前。


そうか・・・


今は、以前の市庁舎の前に停まる必要が無いのか・・・。


プレハブ2階建ての・・・

しかし、陸前高田市民の生活を守るための
最前線となっている仮市庁舎は、心なし立派に感じられます。


そうは言っても・・・


私は、この坂を下って、旧市街地を見に行くつもりですから、
少々の時間では、どうにもならないところで
つくづく、1時間30分という時間に感謝します。


歩いて、坂を下る途中・・・

家並みのあるところ、土台だけとなったところの境目が現れます。

ものの数メートルしか離れはなく、
この場所まで津波が襲ってきたたのだと分かります。


私は、バス停までゆっくり歩いて戻れるよう
時間を何度も確かめながら歩きます。


足場は急に悪くなります。

時々、陥没した場所、蓋の外れたマンホール穴が現れるので、
写真にばかり気をとられている訳にはいきません。


良かった!


もしかしたら気負い過ぎかも知れませんが、地震から9ヶ月・・・

こうした陥没だけでなく、最大余震の心配もありますから、
怪我をした時用の薬や絆創膏、湿布などはいつもより多めにしていますし、
服装も怪我をしにくいものにしています。

それでいて鞄は、いつもより軽めに。

その分、資料や時刻表などが犠牲になりましたが・・・

健康男子としては
余震など、いざ!の時には、近くの人を抱えて走るくらいの
余裕は持っておきたかった。


しかし・・・


周囲に 私以外、人の歩く姿は見えません。


居たとしたら・・・ 数キロ先を歩いている人でも見えることでしょう。
そのくらい、何の建物も、人の通う姿もありません。


時々・・・ ダンプが通い、遠くで重機が瓦礫を撤去している姿、
巡回しているパトカー以外に動くものも見当たりません。


私が眺めているのは
今も撤去が進んでいく、復興とは縁遠い、まちの姿でした。


来る前には・・・

この辺りで食事や買物でもすれば、
少しでも復興の役に立てるだろう!と思っていたのに・・・。

唯一 先ほどバスで通った道には、車の姿が見えますが、
それは、ここを通り過ぎていく車の列。


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