2015年7月20日月曜日

時は1989年・・・ 海と島の博覧会へと向かいましょう



つばめ・ミュージアムにご来館の皆さん

今回の舞台は広島。

私たちが目指すのは”海と島の博覧会ひろしま”
博覧会会場に向かうだけでなく、時も巻き戻してみることにしましょう!




さて、ここは1989年。


年が明けた、昭和64年1月7日、昭和天皇が崩御。

翌日には、元号は「平成」と改められ、平成元年1月8日。

多くの人が、ひとつの時代の終わりであり、また始まりに立っていることを意識させられた
一年の幕開けとなりました。

このころはというと、若い人が集まって、さぁ何をしようか!となれば、
必ず誰かがカラオケ!というほどの、カラオケブーム。
グループ用個室を持つお店があちこちで開店。

普段からよく行くだけに、女性ですと、このあたりだと~と、
店の場所や、雰囲気がメンバに合う合わないまで心得てチェックしお店の探索を開始。
まだレーザディスクカラオケの時代です。

ちょっと待って!店に予約聞いてみる!と、
スマホを取り出して・・・ではなく店の前まで行って、実際にお店の中に・・・

さぁ、今日は何時から歌えるのでしょうか??


そう、この時はまだ、ポケベルの時代。

ですからお店一件一件予約状況を聞いてまわって、
一度だか二度だか、さすがにもういいやと諦めたことも。

またかよ~と街角で猫の鈴・・・の鳴る音にしかめっつらのサラリーマン。
ガ・ガ・ガ・ガ・ガ・ガと目にも止まらぬ早さで、公衆電話のダイヤルボタンを押し、
友達にメッセージを送っているのは女子学生さん達でしょう。


この頃のセレブなお父さん方といえばゴルフに接待という名の遊行。
花の金曜日、そして花の木曜日ハナモクなんて言葉が流行るほど、
夜の歓楽街が賑わった時代であり、
この頃、家庭崩壊という言葉も、にわかにクローズアップされてきはじめていました。


この年を象徴する出来事といえば、もうひとつ・・・

年の終わりとはいえ
昭和50年台から持続的に続いていた好景気が、昭和60年台に入るころになると加熱。
この年の12月29日、日経平均株価が38957円と、
現在に至るまでの史上最高値を付けています。


1989年というと、その数字の並びの微妙さとは裏腹に、
いろいろな意味で歴史の境目、潮目ともなった年でした。

4月1日は、1888(明治21)年に日本で最初に「市」に移行した31市が
市政100周年を迎える記念すべき年でもありました。

これらの都市では、折からの好景気もあって、
この年に向けて、何らかの記念行事を行うことが模索されていました。


この時注目されていたのが・・・


1981(昭和56)年、港湾都市神戸における新たなまちの街開きのキックオフイベントとして、
開催され、来場者数1610万人と、大成功を収めた地方博覧会「ポートピア21」でした。

神戸市都心部の三宮沖の港湾部に、
ポートアイランドと呼ばれる出島型の大規模埋め立て地を造成。

このエリアに国際競争力を持つ港、企業の本社機能、新しい産業を誘致。
ポートアイランドと交通結節点の三宮を結ぶポートアイランド線新交通システム。
職住近接の大型マンション、病院などの都市サービス機能まで持たせた神戸の新都心。
 
埋め立てに必要な土砂を削りとる背後の山では、新たに住宅地を造成するなど、
後に「神戸株式会社」と呼ばれたほどの経営手腕を発揮。

さながら未来都市を思わせる新都心の風景を現出させた、その象徴的なイベントとして、
自治体関係者の間で一躍、博覧会が脚光を浴びることになります。


この頃、神戸市に限らず多くの大都市で、
それまで近代日本の屋台骨を支えてきた造船、鉄鋼業などの
重厚長大産業が新興国との競争にさらされ衰退、
操業の縮小や工場の撤退が相次ぎ、それらの立地していたウォーターフロント部の再開発が
課題となりつつあったことも博覧会開催の背景となりました。


現在でも大規模なイベントとして、しばしば博覧会が開かれていますが、
この頃の数年間はパビリオンが並び立つような比較的規模の大きな博覧会が
各地で並行して開催されていて、平成元年の開催になると大規模なものだけでも


アジア太平洋博覧会(福岡) 3月17日~9月3日

世界菓子博(松江) 4月23日~5月14日

海と島の博覧会(広島市及び県内各地) 7月8日~10月29日

世界デザイン博覧会(名古屋) 7月15日~11月26日

横浜博覧会(横浜) 3月25日~10月1日


・・・となっています。


※ 上記の博覧会列記に誤りがありました訂正しています。



広島ブログ

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